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東京地方裁判所 昭和50年(特わ)1329号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収してある覚せい剤結晶一包は没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五〇年七月一一日、東京都渋谷区道玄坂二丁目二一番一号ホテル夢蘭三〇二号室において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶一・一五九グラムを所持したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張について)

弁護人は、本件犯行が発覚する端緒となった捜索手続に違反があり、これに基づいて押収された証拠物・並びに作成された書証は違法収集証拠であるから証拠能力を有しないと主張するので、判断する。

一、本件証拠物差押に至る経緯

≪証拠省略≫を総合すると次の経緯が認められる。

(一)  渋谷簡易裁判所は、昭和五〇年七月九日目黒警察署勤務司法警察員児島國夫の請求により、判示のホテル夢蘭の経営者宮崎博之に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、捜索場所「ホテル夢蘭内」、差し押えるべき物「本件犯行に関係ある覚せい剤と認められるもの、注射器、日記帳」とする捜索差押許可状一通を発付した。右ホテル夢蘭には、経営者の居室を含め全部で一〇室あるが、右許可状はその全部を捜索等の対象として発付された。同警察署は同月一一日午前一〇時ころから、児島國夫防犯課長、田中武満保安係長等一四名をもって、右ホテル全室の捜索を開始した(なお、被疑者宮崎は当日不在であり、立会人は被疑者の内妻及び従業員一名である)。

(二)  偶々本件被告人が宿泊していた三〇二号室は、田中係長以下四名が捜索に当ったが、捜査員らは事前に旅館側から同室の客は「住吉連合のやくざの遊び人」と聞いていた。

田中係長らは、ドアをノックして返事があったので、部屋に入ると、被告人はベッドに横になっていたが、「マスターの宮崎の覚せい剤取締法違反でホテル全室を捜索する。あなたの部屋も一応見せてもらう。」と告げると、被告人は緊張の面持で「どうぞ」と承諾したので、捜査員らは同室内の捜索を開始した。

(三)  その結果、まず、冷蔵庫の上から注射針、ハサミ、三か所を切り取ってあるビニール・シート一枚が発見され、更にベッドの横のごみ箱の中から、タバコ「ホープ」の空箱(但し、その一部を細く切り取ってあるもの)、血をふいたとみられるちり紙が発見されたので、捜査員が被告人に対し「シャブをやっているな。」と問かけたが、被告人は顔色を変えただけで無言であった。

そこで、更にベッドを捜索したところ、ベッドの上からマッチ箱に入ったビニール製の小さい空袋(通称パケといい、覚せい剤少量を入れるのに用いられるようなもの)が、更に枕と枕カバーの間から黒皮製小銭入れが発見された。

田中係長が、被告人に対し「お前の物だな。」と問うと、被告人は、ふるえるような声でこれを認めた。

捜査員が、被告人の側でその小銭入れのチャックを開くと、注射器、注射針、覚せい剤らしい白色結晶が入っているパケが出てきたので、これらが被告人のものであることを確認した。なお、この際捜査員は小銭入れを開けるにつき被告人の了解を得た形跡がない。

捜査員は、その場で覚せい剤の試薬を用いて予試験をすると、覚せい剤の反応があったので、田中係長が被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕し、前記証拠物を差し押えた。

二、判断

(一)  ホテル全体を捜索する必要がある場合に、捜索場所がその旨明らかにされていれば、各客室の番号を捜索差押許可状に表示することは必要ではない。

宿泊客が少ない場合を想定すれば、経営者の単一の管理・占有下にある客室を一通の許可状で捜索することは、何ら差し支えないことである。

しかし、宿泊客がある場合は事情を異にする。宿泊客の占有する客室は、経営者及び宿泊客の二重の管理・占有の下にあるから、そのような客室の捜索を許可するのは、押収すべき物がその客室に存在することを認めるに足りる状況のある場合でなければならない(刑事訴訟法一〇二条二項、二二二条)。宿泊客がいる場合にはその客の平穏な占有やプライバシーを侵害してまで捜索をする必要があるかどうかが十分に考慮されなければならないのである。

従って、客が在室している場合でも捜索を許す趣旨で許可状を発付する場合は、一室につき一通を発付するか一通の許可状に捜索対象となる各室の番号を表示するのが憲法三五条二項に照して厳格であろうが、少なくとも、右の趣旨が明示されていることを要すると解され、本件の捜索差押許可状のような、単に捜索場所「ホテル夢蘭内」との記載では、無条件に宿泊客のいる客室の捜索を許可したものと解することはできない。

しかし、本件捜索に当っては、三〇二号室の客であった被告人に、捜索の趣旨を説明し、一応その同意を得ているものと認められるので、同客室内を捜索したことは違法でないと解される。

(二)  次に、右許可状により、宿泊客の右のような同意を得て客室を捜索する場合においては捜索対象は同室の備品等に限られ、客個人の持物を捜索することはその権限を越えることになる。

従って、本件においては、被告人の持物であることが明らかな小銭入れを開けて内容物を見ることは、右許可状に基づく捜索としては許されなかったのである。

そして、前記のように、捜査員が、小銭入れを開けるにつき、被告人の同意を得た証拠はない。もっとも、被告人は、当時顔色を失ってただおろおろするばかりで、何ら異議も述べなかったのであるが、このような任意捜査がただ単に被疑者が異議を述べなかったということで適法性を取得するものと解することは、令状主義の趣旨に反し許されないことは明らかである。

このように、捜査員らにおいては、前記の経緯のとおり、被告人が同室において覚せい剤の注射をしたことを疑わせる証拠が次々と発見されるに及び、動かぬ証拠をつかもうとする余り、必要な手続を省き、その権限を逸脱したものと解される。

(三)  しかし、ひるがえって考えてみるに、前記のように証拠物が次々と発見されたこと及び、その時の被告人の態度からみると、被告人が、同室内において覚せい剤を自己施用した嫌疑、覚せい剤を所持していた嫌疑は、かなり濃くなっていたことが認められ、緊急逮捕の要件である「十分な嫌疑」にはあと一歩という段階であったから、小銭入れの内容物を見ることの同意を得るか、もしこれが得られない場合は、注射針、血のついたちり紙、空の「パケ」等について被告人に質問し、任意に腕に注射跡があるか否かの見分を求めるなどすれば、緊急逮捕の要件が備わる可能性が十分にあったと考えられ、緊急逮捕した上で被告人の持物を調べ、証拠物を差押えるならば、問題はなかったのである。

(四)  このようにみてくると、前記のとおり、本件現行犯逮捕に至る経緯には、必要な手続を省略し、あるいは手続の順序を過った違法があることは見逃がせないが、その違法の程度は右のようなものであって、本件差押調書及び証拠物の証拠能力を否定する必要があるほどに大きいものとは解されない。

よって、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

罰条 覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項

未決勾留日数の算入 刑法二一条

刑の執行猶予 刑法二五条一項

没収 覚せい剤取締法四一条の六

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(裁判官 虎井寧夫)

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